8月2日、日本政府は安全保障上の観点から、韓国を貿易管理上の優遇措置が受けられる「ホワイト国」のリストから除外することを閣議決定した。韓国はこれに猛反発し、かつてなく「反日」が燃えさかっている。だが世界を見渡せば、反日国家は中国と朝鮮半島くらいで、ほとんどの国が「親日」だ。たとえば、ミャンマーはアジア随一の親日国である。このたび、『親日を巡る旅 世界で見つけた「日本よ、ありがとう」』を上梓したジャーナリストの井上和彦氏が、ミャンマーの親日の背景を解説する。
日本軍のビルマ攻略戦の最大の目的は、米英軍による蔣介石率いる中国国民党軍への支援ルート「援蔣ルート」の遮断にあった。連合軍は、蔣介石を支援すべく武器弾薬などをビルマから送り届けていたのだ。
開戦翌月の1942年(昭和17年)1月20日、日本軍は2個師団をもって南部ビルマへ侵攻を開始。タイ-ビルマ国境を突破して首都ラングーン(現ヤンゴン)を目指した。そしてついにイギリス軍はラングーンを放棄。日本軍は3月8日にラングーンを無血占領することに成功したのである。
タイとビルマを結ぶかの「泰緬(たいめん)鉄道」が建設されたのも、ビルマへの物資輸送の必要からだった。
こうして日本軍は、最終的に5個師団約8万5000人の大兵力をもってビルマ南部から押し上げる形でイギリス軍を圧迫してゆき、5月8日に要衝ミートキーナを占領してビルマと中国雲南省を結ぶルートの遮断に成功した。そして日本軍は破竹の勢いで進撃を続け6月までにビルマ全土を制圧したのである。
そこで忘れてはならないのが、「南機関」と「ビルマ独立義勇軍」の存在だ。
援蔣ルートの遮断とビルマ独立を工作する日本軍「南機関」の機関長・鈴木敬司大佐とビルマ人独立運動家アウン・サン(かつては“オンサン”と呼ばれていた)の出会いがすべてのはじまりだった。
ちなみにアウン・サンは、現在のミャンマーの国家顧問で民主化運動指導者として知られるアウン・サン・スー・チー女史の実父である。
大東亜戦争が勃発する前、アウン・サンは、日本軍の支援を受けて30人の同志と共に海南島へ逃れ、そこで彼らは鈴木大佐の南機関による厳しい軍事訓練を受けていた。
そして開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日、アウン・サンらは、タイのバンコクで「ビルマ独立義勇軍」を設立。司令官に鈴木大佐が就き、彼はビルマ伝説の救世主“ボ・モージョ”を名乗った。そして参謀にアウン・サンが就いた。
1943年(昭和18年)8月1日、日本軍の支援を受けてバー・モウを首相とする「ビルマ国」がイギリスから独立。ビルマ独立義勇軍は、ビルマ防衛軍を経て「ビルマ国民軍」へと改編され、同時にアウン・サンは国防相兼ビルマ国民軍司令官となった。
戦後、バー・モウは、自著『ビルマの夜明け』で、長きにわたったイギリスの植民地支配から独立できた当時のビルマの様子をこう回顧している。
《それは言葉では言い現せないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸をふくらませて、いたる所で歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明をあげ、花を捧げた。僧たちは町中で振舞を受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で万歳を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージが東条首相と日本政府に送られた》(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)
ビルマ国民軍は、日本軍と共に進撃し、各地でイギリス軍と戦闘を繰り広げたのだった。
ところがインパール作戦で日本軍が敗退し、日本の敗色が濃厚となるや、突如アウン・サンは連合軍側に寝返って日本軍に銃口を向けたのである。
戦後、このことをもってアウン・サンが反日闘士のようにいわれることがある。だがそれは違う。誤解を恐れずにいえば、アウン・サンは国家の生存のために、日本を裏切る苦渋の選択をせざるを得なかったとみるべきであろう。
アウン・サンは、日本と共に敗戦国となって再びイギリスの植民地となるより、ここは、戦勝するであろうイギリスの側に立って戦い、戦後のイギリスとの交渉を有利にしようと考えたのだ。つまり彼は日本軍を恨んで敵対したのではなかったのである。
そのことは戦後、BC級戦犯に問われてビルマに連行された鈴木敬司少将(最終階級)をアウン・サンが助け、後の1981年(昭和56年)には、鈴木少将ら7人の元日本軍人に国家最高勲章が授与されていることがなによりの証左であろう。
1948年(昭和23年)1月4日、ビルマは、アウン・サンの思惑通り、連合軍に協力したことが評価されて再び独立を勝ち取った。だがその半年前にアウン・サンは暗殺されており、その喜びを分かち合うことはできなかったのである。
いずれにせよ日本軍が、イギリス植民地からの独立を希求するビルマ人を助け、ビルマ人の軍隊をつくって彼らと共にイギリス軍と戦ったことはいまも高く評価されている。
首都ネピドーにあるミャンマー国軍の軍事博物館には、当時の貴重な写真や兵器などが展示されており、こうした封印された近現代史の真実を知ることができる。
面白いことに当時のビルマ国民軍の軍服は日本陸軍のそれとそっくりであり、このことからも日緬両国の関係性が読み取れる。
とりわけ私は展示されている写真に注目した。訓練に励む生き生きとしたビルマ国民軍の兵士たち、イギリスからの独立を喜ぶ彼らの笑顔、これまで目にしたことがなかった写真がずらりと展示されていたのである。
これらの貴重な写真が史実をなにより雄弁に物語っていた。そう思いながら展示に見入っていると、だんだんと戦後日本の噓にまみれた偏向報道と自虐史観に怒りがこみ上げてきたのである。
そして展示の中には驚くべきものがあった。それは日本軍人と見まごうばかりのビルマ国民軍の軍服を着たアウン・サン将軍の肖像画だった。この肖像画のアウン・サン将軍の胸元には、1943年(昭和18年)に天皇陛下から授与された旭日章が描かれおり、加えてそのコーナーには勲三等の勲章と日本刀が恭(うやうや)しく展示されていた。
感動が湧き上がってきた。これまで私は、このようないでたちのアウン・サン将軍の写真や肖像画を見たことがなかったからである。
さらにミャンマーにはアウン・サン将軍の日本軍将官そっくりの銅像もあった。
場所はメイクテラー近郊だったと記憶しているが、日本陸軍ばりの軍服を着用し日本刀を地面について立つ丸刈り頭のアウン・サン将軍像を目の当りにした私は思わず頭を垂れて敬礼した次第である。
さて先の軍事博物館には、日本に亡命したときの着物姿のアウン・サン将軍の写真もあった。
実はアウン・サン将軍は1940年(昭和15年)に日本に亡命し、鈴木敬司少将とビルマの独立について鈴木少将の郷里である静岡県浜松で策を練っていたのだ。
こうしたことから、浜松の大草山の山頂に「ビルマゆかりの碑」という顕彰碑が建立され、2014年(平成26年)にミャンマーの国軍司令官が来日した際、日本の自衛隊と共にここで慰霊式典が行われた。以来、自衛隊とミャンマー軍の将官交流プログラムで来日するミャンマー軍の将官はこの地を訪れ献花しているという。
かつて鈴木敬司少将をはじめ日本軍がミャンマーの独立に貢献したことが、いまでもミャンマーの人々に感謝されているのだ。
井上 和彦
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%B3
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00066377-gendaibiz-int
隣国だからという理由で無理に使う必要はない。
物理的な距離が離れていても、価値観が共有でき、日本の事が好きな国(親日国)と付き合えばいい。
かの福沢諭吉も脱亜論で(今反日してる国とは)付き合ってはいけないといってましたね、昔から変わっていないでしょうね
そして、これからも変わることはないでしょう。
アウンサンは1943年には寝返りをイギリスに打診していた史実もあるけどね。
しかし裏切りを良しとせず、敗走する日本軍を攻撃しなかったビルマ軍や指揮官も大勢居たのも事実。
でなければ、日本軍をこれほど評価していない。
アウンサン暗殺も日本の残党の仕業とされたが、ビルマ人はだれも信じず、正しくイギリスがやったと真相に辿り着いている。
アウンサンの業績も当然あるだろうが、ミャンマーの人達の草の根活動で日本への友好が築き上げられて来たのが本当に尊い。
イギリスの植民地からの解放が目的であったなら、最後にイギリスに寝返ったのも致し方ない決断であったと思います。
信用できる国とは外交努力を惜しむことはないと思う。
隣国は信用できない。危険国家です。
寿司が好き、柔道が流行ってるとかが、親日とは言えないのは知ってて書いてるよね。困ったときに損得考えず助けてくれようとしてくれたトルコ、ポーランドや台湾のことを言うと思います。そうするとそんなに多くないですよ
史実を捻じ曲げて真実に目を背ける国に未来は無い!ただ消え去るのみ!
多くの日本人が同じだと思います
韓国以外の国とは真摯に誠実にお付き合いしていきたいです。
先人が国際的に良心に従い行動した事が、今の日本の国益に繋がっているのは事実。
だけど先人が良心に従い行動した事で、隣国をぬるま湯に浸からせたのも事実。
親日国で溢れてる、は大袈裟かな。
でも先人達が礼儀正しく(必要以上に酷いことをしなかったとか)現地の人に接して来たお陰で、大陸、半島の人より好感を持ってもらっているのだろう。
大日本帝国は、獲得した植民地を収奪した欧米列強諸国と違って素晴らしかったのだよ。
韓国の日本統治が悪なら、なぜ韓国(朝鮮半島)の36年より日本統治期間が50年と長かった台湾や、大東亞戦争時に韓国の言うまさしく武力行使した東南アジア諸国が親日なのか全く説明できないからね。
もう日本国民は戦後の自虐史観の洗脳からはある程度解けている。
日本に対して、未だ根に持ってるのは、中国韓国北朝鮮だけです。
その他の東南アジア諸国は全く日本に対して敵意はありません。
むしろ感謝や畏敬の念しかありません。
この親日記事は極々少数のレアなケースをあたかも世界が親日のようにデフォルメしている
大東亜戦争当時の旧日本軍の残虐極まりない蛮行は東南アジアの人々に語り継がれている
これは現地に行って話を聞けばすぐに分かる
東南アジア諸国にとっては戦後の日本の謝罪行為がどのくらい受け入れてもらえたかだと思う
日本だって、アメリカと戦争して殺しあって、一時は占領されてた
もちろん、恨んでいる方や思うところもある人はいるかもしれないけど、
それは、日本に占領された東南アジアの国も一緒だろう
恩を恩と受け取る心があれば、普通は親日になるんだろう。
恩を当たり前だと思ったり、自己弁護のために被害受けた、謝罪しろと言ってくるのは特殊な一部の民族だけ。
そもそも、国策として反日を行なっている国が、何処とは言わないが、(中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国)3か国だけだから